ヨーヨーチャンピオンがやってきた
私が調べたところによると、ヨーヨーは昭和38年に最初のブームが来て、その後は昭和51年頃、そしてここ数年来のブームと実に3度のブームが訪れているらしい。それぞれには仕掛人がいて、最初のブームは森永乳業が「コーラス」の販促材として配ったのが発端。2度目のブームはコカコーラと、いずれもヨーヨーは販促材でしかなく、それによって企業が利益を得ようという性格のものではなかった。
自分にとってリアルタイムな体験を伴う話となるとやはり、2度目のブームである。このコカコーラのキャンペーンというのは、コーラ、ファンタ、スプライトのホームサイズ(当時はこれが一番大きなサイズだった)をいずれか二本買うと、ロゴ入りのヨーヨーを買うことができるというものであった。ただ、このルールはいい加減でジュースを買わなくてもヨーヨーを売ってくれる店がほとんどであった。ヨーヨーは大きく3タイプある。もっとも高いものが350円。赤のボディにコーラのロゴ、ベゼルと言うべきか、外周は透明のプラスティックで、他のものより高級感からか心持ち重たかった。スタンダードなものは250円で、350円のものとボディは同じようだが、ベゼルが白のプラスティックでそれなりにチープに見えた。ボディがコーラの他にもファンタとスプライトがあり、カラーもイメージにあわせて、オレンジ、グリーンというのがあった。最も安いのが100円で、これはボディがアイボリーカラーでビンの王冠の形をしていた。実は最初にこれを買ったのだが、周りが250円のを買い始めたので自分も当時好きだったスプライトのそれを買った。
当時はテレビや雑誌などのメディアで紹介されるものでもないので、みんながごく限られた技を日々繰り返しているだけだった。何かと努力や練習を要するものが嫌いな私は、犬の散歩をクリアした後、ブランコで挫折し飽きてしまったが、それでもブームはしばらく続き、「ヨーヨー大会」や「ヨーヨーチャンピオン来る」などといったイベントがデパートなどで催された。
そんなある日学校の帰り道、赤いブレザーの男の人が駄菓子屋の壁に何やらポスターを貼っていた。ポスターはヨーヨーイベント告知のもので、チャンピオンらしい人の顔写真が20人ぐらい並んでいた。階級がいくつもあるわけでなく、チャンピオンがこんなにたくさんいるのも変な話であるが、その頃は純粋な少年であったためそんな疑問もなかった。ポスターを貼り終わるとその男性はポスターにある一人の顔写真を指差して、「自分はチャンピオンなんだぞ」と無言のアピールをして車で消えて行った。確かにそのポスターの人であり、なるほど、彼が着ていた赤いブレザーはポスターのみんなと同じで、これがチャンピオンの証らしい。
翌日学校では「俺昨日、ヨーヨーチャンピオンに会ったんだぜ(原文は方言)」と自慢したが、それがいったいどれだけの意味を持つというのだろうか。ところで、あのチャンピオンはチャンピオンになる前は何をしている人だったのだろうか?。もちろん誰がチャンピオンと認めたかという疑問もあるが。何につけ、ブームの前に訓練して相当なレベルに達しているのはそれなりに凄いが、こと子供の遊びごときとなると尊敬というものではない。今思えば年格好からして彼らは昭和38年時のブームの生き残りだったのかもしれない。
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