夏休みの宿題
毎朝、近くの寺から聞こえる蝉の声で目が覚めた。ラジオ体操は既に終わった時間であるが、計画通りに宿題は朝のうちに済ませることにしていた。夏休みの宿題となると必ず「夏の友(学年によっては「なつのとも」だったりする)」という印刷冊子が配られた。冬休みは「冬の友」である。一年生の時はこれに絵日記帳が渡された。約三〇日分のページがあったような気がする。
私の絵日記は毎度、「きのう、○○をしました」といった具合の書き出しで始まる。父親に「日記は今日のことを書くんだ」と言われても、それでは毎日、「きょうは(も)7じにおきました。はをみがきました。かおをあらいました。いましゅくだいをしています」の繰り返しでしかない。この書出しは律義に朝宿題をしている証拠なのだ。絵まで描かなければならないため結構な苦痛だったような気がする。
記憶によると蝉取りに行った話を書いたような気がする。家の裏の寺で蝉はわんさか鳴いていた。四方八方、三六〇度パノラマ状態である。「これが自然のサラウンドサウンド」といった感じだった。うまく取れたかどうかは覚えていないが蝉が木に止まっている絵を描いた。遠近法などメチャクチャ。蝉が手の平ぐらいに大きいというのはその年頃の子供にはお決まりなのかもしれない。捕虫網の目も粗く、真っ直ぐな線で書かれていたりする。
小学一年生の時にはアサガオの観察というのもあった。しかし、目が覚めた時にはいつも既にしぼんでしまっていた。開いたアサガオを見ることなく観察日記を絵付きで描いたような気がする。休日の朝に寝坊するのは今も昔も変わっていないようだ。
それと、読書感想文がかつてはとても苦手だった。読むのも苦痛だし、書くのも苦痛だった。大部分を引用、しかも前書きや後書きから、で済ませたこともある。
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